たからづかごるふくらぶ
「時代の流れと共に成長した歴史ある名門コース」
1926年(大正15年)に3ホールのみで開場した宝塚ゴルフ倶楽部。同年8月に、囲碁、将棋、ビリヤード、射的などの施設を揃え、新しいライフスタイルをもった街空間のような社交倶楽部「宝塚倶楽部」が誕生しました。その中に10月にオープンしたゴルフ部が、宝塚ゴルフ倶楽部の始まりです。
新・旧2コース36ホールからなる宝塚ゴルフクラブは、関西エリアでは5番目の歴史をもつ名門コースであり、時代の流れとコースの歴史がとても深く関わるゴルフ場です。
旧コースの設計は、日本のプロゴルファー第1号といわれる福井 覚治氏が担当。逆瀬川上流高台のみかん畑甘香園に3ホールを造成すると、福井氏が設計したコースはたちまち人気になったそうです。翌年に6ホールに拡張。さらに、加島屋10代目として事業を展開しつつ関西ゴルフ界を牽引した広岡 久右衛門氏の設計により、9ホールに延長されました。そして、さらなる人気を受け、1930年には待望の18ホールが誕生しました。
旧コースは、そんな時代背景を感じさせる、手作りの味と自然の地形を生かしたスロープが続き、原野で遊ぶような懐かしい雰囲気が漂うコースとなっています。
戦争を乗り越え、新たに開場した新コースは、フェニックスカントリークラブの設計でも知られる大橋 剛吉氏が担当。バンカーやクリークなどが巧みに配置された戦略性の高いコースです。
コース開場の恩人とされているのが、阪急電鉄の創業者である小林 一三氏です。「阪急沿線につくるなら、そこらのゴルフ場に負けないコースをつくれ」と、自身はメンバーでないにも関わらず、土地を貸したり、資金援助をしたりと、宝塚ゴルフクラブの創生期をバックアップしました。
現在は、神奈川県の相模原ゴルフクラブと姉妹コースとして連携するなど、会員の相互交流にも積極的に取り組んでいます。
兵庫県宝塚市蔵人字深谷1391-1
最寄高速道路 : 中国自動車道宝塚